還暦を迎えたアイルトン・セナ
公式アカウントのツイートを見ながらそんなことを思った。同じ時代を生き、熾烈な争いを繰り広げたライバルドライバーのF1引退後の活動を追ってみた。
The last few days were full of tributes to Ayrton Senna, especially because of the 60th anniversary of his birth, on March 21, 1960. Check it out! https://t.co/M9bK2xtxVl #SennaSempre
— Ayrton Senna (@ayrtonsenna) March 24, 2020
アラン・プロスト(65歳)は引退後もモータースポーツに携わり、2017年にはルノーF1チームのスペシャルアドバイザーに就任。ナイジェル・マンセル(66歳)は引退や復帰を繰り返し、他のカテゴリーレースにも参加。ゲストスチュワードとしていくつかのF1レースに招待されている。ネルソン・ピケ(67歳)は、レースチーム以外にも事業を多角化して実業家となっている。
まさにドライビングスタイルがそのまま引退後の活動にも現れている。もしアイルトン・セナが生きていたらどのようなセカンドキャリアを歩んでいたのだろうか。
2020年4月
アイルトン・セナ 没後25年に寄せて
彼がこの世を去ってから四半世紀。当時の記録は今日のようにデジタル化されていないが、記憶は少しも色褪せない。それほど彼の存在が強烈だった、ということだろう。
事故死の次のレースはモナコだった。ポール・ポジションは空席でブラジル国旗がプリントされていた。ここぞという時の集中力、判断力、他のドライバーの追随を許さず、まさに彼の指定席だった。一番にチェッカーを受けることを誰よりも強く望んだ。
それ故に時には行き過ぎた言動もあり今風に言えばよく炎上もあった。しかしそれは実力のある若者が古めかしい体制へ挑んでいくのであり、そうした姿に共感を覚えて自分を投影していたような気がする。
翻って25年後の今の自分が古い体制側の人間になっていないかとハッとさせられた。もし彼がまだ生きていたなら、一体どんな活動をしていたのだろうか。
令和元年5月1日
没後24年に寄せて
あれから24年。いつのまにか彼をはるかに上回る年齢となり、髪の毛には白いものも目立つようになってきた自分に気がつく。
しかし、いまだに彼が自分に与えてくれたものが何なのか理解できていない。「感動」や「夢」という言葉にしてしまうと青臭いし、「憧れ」では強烈な違和感がある。ただ間違いないのは彼は私のアイドルであるということだ。
このサイトの前身は95年頃、大学のWWWサーバーに個人のアドレスを割り当ててもらって開設。卒業とともに大学サーバーからは削除され、出現し始めていたISPのサービスに移転。2001年には現在のドメインを取得し、CGIやFlashなどを使用したサイトに更新。そしてこの度のサイトリニューアルは、前回のメジャーアップデートから実に16年も経過していた。
後にも先にも彼ほど世界から愛されたスポーツ選手はいないだろう。リアルタイムで知らない、F1を知らなくても「アイルトン・セナ」は知っている。彼の記憶はまだまだ色褪せない。
2018年5月1日